島原湧水群

1/100の旅 全日空機内誌「翼の王国」2000年5月号(p56-61) 文:齋藤潤



 水屋敷の二階から階段ごしに池を見る写真

島原では胃薬はいらん、水で治るけん

朝の商店街には、水の気配が満ちていた。

繁華街には場違いなほど清らかな水が、両脇の水路を流れていく。
小奇麗な顔を並べた町並みに、瓦を頂いて少し傾いた門が嵌まっていた。
そこだけ時間が剥げ落ちたような不思議な雰囲気。
格子戸越しに覗くと、広々とした池と庭が見えた。

水屋敷。

個人宅を個人の意志で無料公開しているという施設。
基本的には、行儀の悪い子供(それを放置するだらしない親も)と
無作法な団体はお断り。

いいなあ、こういう気概は。

湧水を使ったコーヒー、寒ざらし、素麺なども出すらしい。
10時頃開場とある。



車道の傍らに湯気が上がっていたので、足を止めた。

しんわの泉。
温泉が溢れるままになっている。飲用すれば、万病に効果ありとか。
一口飲む。癖のないお湯だ。隣では水が流れ落ちている。

散歩中のお爺さんが、立ち止まる。
寒い時はもっぱら温泉だが、今日は水だという。

そこにタクシーが停まった。
客引きかと思いきや、運転手は、タオルを温泉で濡らし空き缶に水を汲んだ。

「島原で胃薬はいらん。この水を飲めばすぐ治るけん」

白い杖の夫婦もやってきた。
「うちが、かるうけん。あんたは、、、」と
手慣れた様子で数本のペットボトルに水を満たしてゆく。




 火砕流で大災害をもたらした普賢岳は、巨大で質の高い雨水の濾過装置だ。
 雨はこの地下を通り湧水となって人々の暮らしを潤す

  

湧水館で猫になる

商店街に戻ると、路面をモップで掃除していた人が、
僕の手にした資料を見てどこで入手したのかと話しかけてきた。

市役所でもらった島原湧水散策路というマップ。
役に立つと言うと、実は町おこしを考える活動の一環として、
自分たちが作ったのだと笑みを浮かべた。

婦人服店を経営する北村正保さんは、
僕が水に興味を持っていると知ると、島原の水に関する資料をくれた。


島原大変(江戸時代の普賢岳災害)の時に、吹き出した水が溜まって生じた
白土湖を訪ねた。

一日4万トンの湧水量というが、
1ヘクタールと面積も広いので水面を見ただけではピンとこない。
しかし、
湖北端の流出箇所に設けられた桶川洗場で、その量が実感された。

洗濯物のすすぎをしている小母さんと大根を白く磨き上げてる小父さんが
水辺にしゃがみ、楽しそうにおしゃべりしている。
洗濯物は最後にここでゆすぐ。
そうしないと綺麗になった気がしないという。

豊かに澄んだ流れを見ていると、それが当然と思えてくる。



白土湖の水を海に捨てるために開鑿された音無川に沿って下る。
できたばかりの中央公園の先が、有名な「鯉の泳ぐまち」だった。

町中の水路に色とりどりの鯉が犇めくのを見て、観光客が歓声をあげている。

その一角に、しまばら湧水館として開放されている旧三村邸があった。
誰もいない座敷の陽だまりにねそべり、ぼんやり庭を眺める。
猫になったようでいい気分。

近くに、店の正面で水が溢れている食堂があった。
なんと店の中で水が湧き、床に小川が流れている。
その水が流れ出していたのだ。
まず、家が傾かないように水の流れを確認し、それに合わせて建物を作ったという。



 島原市街の上に位置する宇土水源は、夏は毎週のように藻の清掃がされる。
 膨大な湧水量なので、水は一時濁るが、すぐに澄んでしまう。

銭ば出して水を買う者が、島原におるか

水屋敷は期待通りの場所だった。
軒下まで迫る水面が、微かに揺らめくと天井で光がきらきらと遊ぶ。
時の流れが止まったような時を過ごし、森岳商店街に向かう。


白壁に瓦屋根の町屋猪原金物店には、レトロな商品や、
主人猪原信明さんが全国から選りすぐった手作りの道具が並び、
眺めているだけでも楽しい。

店の傍らの小さな流れは、速魚川という日本一短い川。
店の復元改築とともに、自噴する伏流水を利用して作った。
奥にはギャラリーを設け、この水で淹れたコーヒーも出す。

水路を作る時、石積みに隙間を残すなど配慮したかいがあって、
わずか25メートルの流れに蛍が自然発生した。

森田家商店街について聞くならと、
猪原さんに写真館を経営する松坂昌應さんを紹介された。


松坂さんとのまちづくりの話は自然と水に結びつき、
商店街の水路が俎上にのぼった。

自分に家の汚れ物を洗う時、反対の山側水路を使うお婆さんがいる。
なぜ、自分の家の前で洗わないのか。
それは、屋敷の山側が上水道で海側が下水道の役割だったからだという。

当初は「じぇんば出して水ば買う者が、島原におるか」と
市議会もこぞって反対した水道だったが、
当時の市長が整備を断行し、そんな知恵も廃れたという。
ただし、
水道のおかげで湧水に恵まれない山手にも住めるようになった。

そういえば、ペットボトル入りの水は、島原でも売られているのか。
何軒か覗いたスーパー全てに、出羽三山や日本アルプスの水が並んでいた。
店の人は、「ファッションで買うんでしょう」というが、真相はどうなのだろう。



 市街中心近くにある「しんわの泉」
  溢れる水やお湯を飲みに立ち寄る人が、次々に姿を現す。
  島原でも人気の高いポイントだ。

パンツば洗っていいのは、別の場所

翌朝、今でも大切にされている洗い場だと聞き、海辺に近い浜の川湧水を訪ねた。
綺麗に磨き上げられた洗場は、4区画に分けられていた。

湧水保存会による洗場使用規則によると、
上流から魚・食品洗場、食器食品すすぎ場、食器食品洗場、洗濯場になっている。
パンツ、おしめ、靴は、洗濯場でも洗ってはいけない。
パンツを洗っていい場所は海の近くに別にあるという。

写真を撮ってうろついていたら、お婆さんに声をかけられ、
取材ならば町内会長に挨拶しておきなさいと指示された。
もっともなことだ。
お宅を訪ね、仁義を切る。

洗場は、班に分かれ毎週交替してデッキブラシで磨き、
7月には町内会総出で源泉の井戸まで浚うという。

湧水の真ん前に、手作り浜の川豆腐と看板を掲げた店があった。
国産高級大豆を使った一丁130円(輸入大豆使用は100円)の方をもらう。
最初に醤油をつけずに食べ始めたら、旨い。
ほんのり豆の香りが残り、ふんわりとした甘さ。
結局醤油の出番はなかった。



再び、水屋敷の門を潜り、主人の石川俊男さんに家を公開した経緯を聞いた。
石川さんは普賢岳災害で悩み抜き、悔いなく生きたいと思い至った時に、
「どがんかなったい」と空家にしていた水屋敷に賭けることを決意したという。

最初は、親や親戚、知人の多くが非難と無視の態度をとったが、
今は推定で年間10万人が屋敷を訪れるようになった。

今後は名産の上質な島原素麺を食べさせる小さな店と、
特産品木蝋の資料館を作りたいという。

そのためには、、、

石川さんの話は、目の前の湧水のよりも力強く滾々と湧き出し、
止まることがない。



 大手川の橋の下に鳥がたたずんでいた。
 せせらぎを聴きつつ武家屋敷周辺の子供たちは登校する。
 洗濯機で下洗いしすすぎは湧水でする。



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