水屋敷の建物について


「水屋敷」とは?

いつ建てられたのか?

誰が立てたのか?
建物の特徴は? 建物の歴史は? 現在の水屋敷は?

「水屋敷」とは?

 文字通り水の湧く屋敷です。

 庭にある池(約4m×12m)から、一日4000トン(50リットル/秒)の
 湧き水がコンコンと湧きつづけています。

 湧き出した水は、万町の水路に流れて、各家庭に引き込まれ、生活用水に利用していました。


いつ建てられたのか?

 明治初期の建築だといわれております。

 木造二階建ての建物ですが、
 一階は、明治5年に建てられ、
 二階は、明治30年頃に建て増しされたものだといわれております。


誰が立てたのか?

 島原の豪商「中山一族」が住まいとして建てた商人屋敷です。

   中山一族

    島原の豪商一族。
    明治・大正と手広く事業を展開されておられたそうですが、ある事業の失敗が元で没落され、
    水屋敷も手放し、今は島原にも住んでおられないようです。

    中山要衛門

     江戸末期の島原藩御用達の豪商でした。
     200年前の普賢岳噴火の時は、偶然お伊勢参り中で難を逃れましたが、
     災害後の荒地で裸一貫から豪商へ成る。

     飢饉で、島原藩が豪商達から寄付を集め庶民を助けようとした時、
     一人反対し「ケチ」といわれたが、
     新田開拓の許可を島原藩に申し入れ、人夫として庶民に職場を提供し、
     通常の賃金を割増して払った事で、誤解が解けた。

     「一時的な施しには限界があり、
      長期的に仕事をして、生きるということのほうが大事なのだ。」と
     行動で示したという。

    中山素平

     元・日本興業銀行頭取。
     戦後の日本経済の立役者。別名、鞍馬天狗ともいわれる。

     1997年、水屋敷を訪れて
     「私も中学校までここに居たんだヨ」とおっしゃいました。


建物の特徴は?

 木造二階建ての建物ですが、
 一階が和風、二階が洋風(疑洋式建築)の和洋折衷のモダンな建物です。

  一階 階段箪笥、欄間、床の間、

  二階 アーチ型窓枠、ドア、カーテンボックス、帽子かけ、


建物の歴史は?

明治 5年(1872) 島原の豪商「中山家」の自宅として建築される。

昭和 7年(1932) 「松尾家」(升金商事)の所有となる。

昭和55年(1980) 「石川家」(とみや呉服店)の所有となる。

平成 3年(1991) 島原普賢岳災害、台風により、空き家状態で荒れる。

平成 7年(1995) 石川俊男「しまばら水屋敷」として修復・維持を始める。


現在の水屋敷は?

 「茶房」として活用しております。

   水屋敷の縁側でホッと一息していただければ幸いです。


昭和12年の水屋敷の写真はコチラ!